哲学として

肌という器官は、人体の内と外を区切る境界であり、体の表面すべてを覆う防御壁であり、感覚器官(触覚)でもあります。そして肌は、極めて薄く、ある程度の伸縮性を持ったしなやかな器官です。

その繊細で透明性を持つ“器官=肌”を介して、人は、世界を認知しています。その能力は決して他の感覚器官に劣ることなく、様々なものを“実体”として受け入れることのできる器官です。

現在、身体を取り巻く“生活環境”の大半は、視覚情報を中心に構築されています。しかし、視覚という感覚は、錯覚に陥りやすい感覚器官でもあります。哲学者スピノザは、次のような言葉を身体論の中で記しています。

「我々は身体が何を成しうるのかさえも知らない」

この言葉のように、肌(触覚)に限らず、人の身体は未だに様々な可能性と謎を秘めているといえるでしょう。

「触れる」という行為から気づく世界。
視覚との相違を発見する驚きと喜びをきっかけに、日常の延長線上で、新たな知覚体験を経ること。そこから新たな思考が生まれ、創造的な生活がはじまるのではないでしょうか。